モーニング娘。は伝統芸能である。

一度、以前わたくしが経営していたホームページ『鹿野園』(ろくやおん)だったり、インターネットラジオだったりであらかたのことを言ってしまったのですが、先日のコブラ塾長のコメントに「モーニング娘。伝統芸能と捉える青島様の解釈には目から鱗が落ちました」というコメントがありましたので、あらためて文面に著わしたいと思います。


モーニング娘。はアイドルではありません。伝統芸能です。

いや、いまいち伝統芸能になりきれていない点もあります。その点も併せて説明させていただきます。

わたくしはもともと伝統芸能マニアでして、小さいころから三味線や太鼓の音色を聴き、NHK教育のたまにしかやらない能狂言の番組や落語の番組、NHK総合の『劇場の招待』の歌舞伎の公演などをこまめにエアチェックするという特異な趣味を持っていました。
アイドル好きになったのは大学生になってからで、猛烈なテレビっ子がそのころになってようやく思春期の少年のような感情を持ち始めるというこれまた変哲な二十歳前でした。(笑)

モーニング娘。を好きになったきっかけも、はじめは思春期の少年が手の届かぬ少女に憧れるようなものでした。

しかし、モーニング娘。は、世間の少年少女憧れる可愛いだけのただのアイドルではありませんでした。
卒業と加入を繰り返し、さまざまな形態の変化を見せるモーニング娘。は、それだけでもアイドルとして異質でしたが、彼女らのテレビ番組やラジオ番組での発言を拾ってゆくと、「伝統芸能マニア中枢」とでもいうべき大脳の一部分が、それまで意識していなかったモーニング娘。伝統芸能として意識してゆくようになったのです。

たとえば、モーニング娘。五期メンバーの高橋愛さんは、八期メンバーの光井愛佳さんに「ダンスは習うものではない、盗むものだ」と教えたそうです。このことは光井さんもおっしゃっていて、それから「先輩方のダンスをよく観察するようになった」そうです。
実はこれ。高橋さんが三期メンバーの後藤真希さんから習ったことなんです。加入したてで、まだ右も左もわからない時に、もうすでに初期の安倍さんと並んで、センターエースとしてモーニング娘。の中核にいた後藤さんの助言に大いに励まされたとおっしゃっていました。
ですが、この後藤さんの助言もご自身の言葉として発せられたものではなく、実は後藤さんの加入当初、12曲もの振付を覚えなくてはならない試練に右往左往していたとき、初期メンバーの中澤裕子さんから釘を刺された一言なんです。

初期から三期、三期から五期、五期から八期と、綿々と受け継がれているではないですか。

こういう譬えはモーニング娘。の中では枚挙にいとまがありません。こういう部分に気付いてないファンの方も多いと思います。

しかし、ただダンスや歌唱の技術が後輩へ伝わっているから伝統芸能というのは言えないと思います。ここが先述した「伝統芸能になりきれてない」箇所だと私見いたします。
伝統芸能において重要なのは、その芸事に従事する役者よりも、むしろ、ファンのほうが大切といっても過言ではないのです。

歌舞伎のファンの中には、親子三代にわたって歌舞伎ファンという人が少なくありません。
またまた、私事で申し訳ありませんが、今では数々の女性女性芸能人との浮名を流すプレイボーイの市川海老蔵の11代目襲名披露を観たことがあります。気迫と緊張の混ざる芝居は粗削りながら、名跡にふさわしい舞台にしてくれたと思いました。このことを母親に話しましたら、「テレビでちらっと見たけど、やっぱりお父さんの海老蔵襲名の時の芝居のほうがよかった」と語ってくれました。また、当代11代目の祖父である、9代目海老蔵という方は、美男で有名で「海老さま」と謳われ、芝居も神懸かり的にうまかったといいます。
伝統芸能においては、ファンの存在が、完全なるアーカイブスとして一瞬で消えてしまうその役者の芝居の記憶を永遠に残し続けるのです。
膨大な情報量を有するファンは、ときに役者や狂言作家に辛辣なダメ出しをすることもあります。そのための専門誌があり、役者の講演会では古参のファンが、芝居のなんたるかについて役者に講釈することもしばしばです。それを役者はウザがりません。ウザがったら、その役者の役者生命は終わりといっていいでしょう。たしかに、独断と偏見で物言いをする人も多いですし、ファンの中からも嫌われている批評家という方もいます。ですが、その批評なり講釈なりが、その役者を叱咤激励しているのです。伝統芸能において、一つの舞台はファンと役者が一体になって作り上げていくものだということがお分かり頂けると思います。
ほとんどのエンターテインメント、特に通俗的な大衆芸能では、パフォーマーは送り手でしかなく、ファンは受け取り手でしかありません。伝統芸能においてはその垣根がほとんどありません。先祖代々ファンでしかなかった家系の人が役者になってしまうこともあり、また代々役者の家に育ったのに、事情で家の看板を降ろさなければならなくなった人が、ご意見番として睨みを利かすというパターンも往々にしてあります。
たしかに、ここまで役者とファンの関係が密接であると、なかなかビギナーが増えにくいという難点があるかもしれません。なるほど、大衆芸能のほうが送り手と受け取り手の関係性が浅薄なため、門戸が広く、だれでも容易に接することができる簡便性があります。ですが、伝統芸能のように、役者の熱演とファンの眼差しが一体となって、一演目、または一曲のために気の遠くなるような年月をかけて練り上げ、珠玉の輝きを放つまでになることは、一過性の流行の中では到底無理です。伝統芸能は汎世間的なものにはなりにくいのですが、草の根が大地を噛むように、送り手とファンが一体となってどんな雨風も耐え抜く力を備えることは可能です。
それこそ百年でも続けられますよ。簡単です。プロデューサーをとっかえひっかえすればよろしい。歌舞伎はそうやって伝統芸能になったんです。


しかし、ここ最近のモーニング娘。を見るにつけて、ファンの間でもただ「見た目が可愛ければいい」的な根も茎もない、ただ大輪の花を欲しがるようなファンが増えつつあることに、非常に危機感を抱きます。
ファンがモーニング娘。を食いつぶすようなことをしてはいけません。ファンは、モーニング娘。を支えている。自分もモーニング娘。というひとつの巨大な生命体の、皮膚であり、血液であり、骨髄であるという意識。まさに「魂」とでもいうべきものが必要なのです。


さてさて。これを御覧のモーニング娘。ファンの皆様。はたまた、モーニング娘。メンバー当人(いるのか? ←笑)に質問です。


Q,モーニング娘。は何人ですか?


今じゃこの禅問答に、ちゃんと答えられる人。少ないだろうな〜。(たはは)