臥薪嘗胆

※上げた記事を消しました。まずいことを書いたつもりではないんですが、なんだか中途半端だったんで。


紅白歌合戦、出場おめでとう! Perfumeちゃんたちのこれからの活躍を期待してやまない、青島です。(笑)

さてさて。ハロプロおよびモーニング娘。にとっては、大厄年だった2007年を乗り越え、この2008年は上向くこともなく、いつものように下り坂をだらだら降りてゆくような一年でしたね。
レギュラー番組であるテレビ東京ハロモニ」も終わり、エルダーメンバーの大量粛清卒業という、もはや突っ込む気にもならないような改編もあり、『ペッパー警部』のカバーしたかと思えば、カバーだけでアルバム*1を作って、紅白対策したのに、結局落ちるという始末。それから、相変わらずモーニング娘。以外のハロプロメンバーハロプロファン内での人気の幅を利かせています。モーニング娘。は相手にもされません。エッグの新人公演なんかで絶賛している方々は、このままでは本当に、目の前は奈落の底だということが分かっていないみたいですね。なんだかタロットカードの『愚者』の柄を想起してしまいます。(参照
この前の記事で「コブラ塾」コブラ塾長のコメントに、ハロプロから切り離すだけでなく事務所を移籍して改名するくらい根本から改革しないと娘。の再生は難しいと思うのです。』というご意見がありましたが、このご意見には、半分は賛成です。
事務所を移籍すべきとは思います。つんく♂のプロデュースのアイドルグループ、ポッシボーの『いじわる Crazy love』には、これまでのモーニング娘。関連の楽曲にあるような「R&B歌謡曲」の路線を踏襲しているとしか思えず、ちょっとの斬新さもありません。(一部では大絶賛だったそうですが、彼らに耳は付いているのでしょうか)いっそ事務所を移籍するぐらいのことをしないと、わたくしの提案する「脱ラブマ」という(モーニング娘。にとっての本来の意味での)大転換にはつながらないでしょう。
ですが、「モーニング娘。」という名前を改名するのは反対です。モーニング娘。伝統芸能です。綿々と受け継がれる中で、受け継いだ当代が失態を犯すということもあるでしょう。すべてが清廉潔白というのはあり得ません。それでこそ、人間なのです。失態を犯してしまった先代の汚名を雪ぐのは継承者しかありません。モーニング娘。という名前は確かに汚れきってしまった感がありますが、その会稽の恥を雪ぐのは、今のメンバーでしかあり得ないのです。また、彼女らが世間に認められれば、きっとモーニング娘。という名前は後代に残ると思います。
ですが、今年の状況を見る限りではそれはあり得ないでしょう。シングルの売り上げに下駄をはかせるためだけの握手会や、写真集攻勢。げんなりするグッズの数々などは、来年も続くでしょう。
モーニング娘。の秋のコンサート・ツアーを拝観しましたが、きちんと盛り上がる曲が近作に少なく、やはり、2002年以前発売の楽曲に頼ってしまうのは、それだけ、モーニング娘。が「アイドルという、ただの型」になり下がったことの証左のような気がします。
わたくしは、アイドルとは「何かのジャンルへ飛躍するための修業期間」だと思っています。アイドルを経て女優になる人や、歌手になる人、はたまた栄養士とか実業家になる人もいる。つまり、ただの通過点。モーニング娘。の場合は、若干違って、そういう通過点としての機関の性格もありつつ、エンターテインメントのエキスパートを養成する機関だと考えます。
そういえば……。五期メンバー・田中れいなさんがご自身のレギュラー出演のラジオ番組で、「ダンサーみたいにかっこよく踊れないから、個性を出すことが大事」とおっしゃっていました。(081203 インターFMFIVE STARS』)これには驚嘆しました。たしかに、アイドルであるなら、ダンスの専門家ではないわけですからそれなりに「自分らしさ」出ていればオッケーなのでしょう。そこは違うと思います。
ダンスなり、踊りなりという面でのかっこよさというのは(歌唱面でもそうですが)たとえば、ありったけの力、仮に100の力を発揮してこそ、一曲の振付けを舞台にかけてもよいレベルのダンスにできるものだと思います。個性を出すとか、出さないとかいうのはそれからの話で、100以上の力を発揮しなければ、その人の個性というのが表せません。どんなに力を振り絞っても、80くらいの程度でのダンスしかできない人が、残りの20を自ら捻出して「個性的でしょ?!」とアピールしても、「なんか鼻につくな」としか思われません。
モーニング娘。のコンサートを見る楽しみに、下手な個性でごまかさずに、きちんと基本を踏襲してパフォーマンスできているかという楽しみがあります。その部分では、現メンバーはみんな、十分な期待置があると思います。

もしかしたら、来年こそ、この五稜郭の大手に火が上がる時かもしれません。そのときは決死の覚悟で戦おうと思います。たとえ死しても、わたくしは憂国の志士であることには変わりありません。



臥薪嘗胆……。

臥薪嘗胆なのですが、いつまで、いついつまで、薪に臥し、熊の胆を嘗め続けなければならないのでしょうか。

そう思うと辛すぎてなりません……。


※ラジオのソースを自分の記憶だけで引っ張り出して、書き立てたことをお詫び申し上げます。以上の記事は、2009/1/1に編集しなおしたものです。

*1:五木ひろし監修」という時点で買う気がおきません。でも、久住さんの『ピンポンパン体操』は良かったと思います。