ミュージカル『シンデレラ』雑感

aizenmyouou2008-08-10


※掲載の写真に関して……会場関係者の撮影許可を得た上で撮影しております。


昨今の加護亜依さんは何でもかんでもぶっちゃけ過ぎで、古くからのファンからみると、またまたおイタをしないだろうかとハラハラしっぱなしの青島です。(笑)


さてさて。愛華みれさんの療養から復帰という以外は、巷間を騒がせているとも言えない、なんとも話題性に欠くモーニング娘。と宝塚のコラボレーション企画第二弾、『シンデレラ ザ ミュージカル』を観にいきました。

まあ、昨今のモーニング娘。の低迷ぶりは「抑ことふりにたれど」*1というような具合ですが、それでも前回のミュージカルは、まだ手塚治虫の傑作マンガ『リボンの騎士』の初舞台化で、初の宝塚とのコラボということで話題性があったようにも思います。ですが、今回はよりによって『シンデレラ』なのであります。
いくらアメリカのテレビで放映されて人気を博したものだとは言え、桃太郎が鬼退治したとか、金太郎がクマと相撲を取ったくらい誰でも知っている内容でして、いまさらその舞台化なぞ、小学校の学芸会じゃあるまいし……、と思ったのですが、それでも気になるというのはファンの常でしょうか。
先日のモーニング娘。のコンサートで、光井愛佳さんの欠場という残念な場面に出くわしてしまい、どうにもそのあとが気懸りでならなかったというのもあり、ここはひとつ何としてでも現行九人のモーニング娘。をしっかり目に焼き付けたいと思い立ち、三里に灸を据えて*2観にいくことにしました。
座席はS席15列24番。初コマ劇場だったのですが、観客席は二階席がなく、すり鉢状になっており、半分から後ろがA席という感じでした。座席の位置は自分にはもったいないほどなかなかの座席だったのですが、前の座席との高低差があまりなく、前に人が座ると頭が邪魔で見えないということもあり、「古い劇場なんだ」ということを痛感させられました。

ステージの印象は、いわずもがな、オーケストラ・ピットから響く生の演奏は迫力があり、声楽も劇場内によく反響して、やはり生のステージに勝るものはないと思いました。

劇全体の内容は……、これも言わずもがな、なんですが。(笑) ただ、気になることが一つだけありました。

ただでさえ有名な内容なので、劇の展開で観客を魅了するという部分が少なく、「夢に思えば願いはかなう」というようなテーマもそのままなので、ミュージカルや観劇にあまり慣れていない人にとっては「なんだ、こんなもの」というような感じに受け取られるかもしれません。
ただ、このミュージカルには、れっきとした『裏テーマ』があります。
総じて、いい芝居のいい脚本・演出というものには(映画でもそうかもしれませんが)演じている役者ですら気付かないような裏のテーマが仕込まれているものです。ただの娯楽作品と、高品質のエンターテインメント作品との違いは、脚本家と観客がこの「言葉なき議論」で通じ合えるかどうか、この一点にかかっていると私見します。今回の『シンデレラ』にも、ちゃんと『裏テーマ』が存在し、それを劇中で感じ取れることができるかどうかで、このお芝居の面白さの感じ方は、丁にも半にも分かれることでしょう。

その『裏テーマ』とは、「叶わないからこそ夢。たとえ叶わずとも、夢を見る力を持ち続けることが大事」という非常にシビアなものです。

シンデレラの内容を解題してみるとわかりますが、最大の不思議なところは、「どうしてシンデレラは魔法使いのおばあさんの魔法を受けられるようになったのか」という点です。
「シンデレラが正直者だから」といえばそれで納得しないでもないのですが、その前にどうやっておばあさんはシンデレラを知ったのか、そういう部分についての説明は全くありません。
このお芝居では、シンデレラの魔法をかけるのは「妖精の女王」で、シンデレラがつらい家事仕事の合間に息抜きに訪れる森の中で出会った、ということになっています。
妖精の女王は夢想家のシンデレラを面白がり、ただの気まぐれで彼女を舞踏会へ行かせます。
そして、これも童話のシンデレラと違うところですが、王子が国中の女性にガラスの靴をはかせてシンデレラを探し出す場面では、とうとうシンデレラを探し出せず、王子が絶望してしまうという場面が付与されています。脚本では王子の母である王妃に「途方もないことを考えずに現実を見なさい」というセリフを言わせています。このセリフは無視できないものと思いました。
ですが、ここでも妖精の女王の気まぐれによって、王子とシンデレラは結ばれます。つまり、ふたりは「たまたま」一緒になっただけであり、夢がかなったのも宝くじに当たったような偶然で、童話のように「正直者の頭に神が宿る」というような教義的な内容ではありません。そこの見極めができるかどうかで、このミュージカルを観る面白さが変わってくると思います。このミュージカルを観劇したファンの間で、「つまらなかった」という意見があったのは仕方のないことなのかもしれません。
これは憶測になりますが、演出側としても「童話のシンデレラとは峻別して考えてくださいよ」というメッセージがあるはずです。そうでなければ、芝居にしたところで面白さなんてありませんから。そういう意味で、感慨深いミュージカルだったと思います。

また、別の見どころとしては、やはり宝塚の役者さんたちのクオリティの高さと、モーニング娘。さんたちの「アイドル芝居」との妙なミスマッチという点でしょうか。(笑)
そういう意味では、高橋さんの演技力というのは完全なる宝塚のコピーだと感心いたしました。コピーはコピーでしかないわけですが、それが彼女のあとなぞりだけで終わらず、あくまでも「舞台に立っている自分をよりよく見せたい」という願望の追求の上での積極的なコピーです。これはファンならずとも刮目して観るに値する部分だと感じました。
他のモーニング娘。メンバーも、決して高橋愛に引けを取らない演技をしていたと感じました。
注目したのは、王子役に大抜擢された新垣里沙。あまり男役に沿うキャラクターでない彼女が、時に上擦りがちになる地声を抑え込み、男役独特の所与の型振りの難しさをものともせず、実に滑らかに演じきっていたのには感服させられました。高橋愛と寄り添って見つめ合うような場面では、一ファンとして、二人の成長を間近に再確認した感があり、思わずほろりとさせられましたね。
あと、伝令官(ガラスの靴を持って城下の村中を捜索する)役の久住小春のハキハキとした少年のような初々しさには目を見張るものがありました。月島ワークスで見せる明るい少女のイメージを舞台では一変させ、できる限りの低い声で精一杯の演技を披露しており、好感を覚えました。これも、声優で培った発声法と、演技力の為せる業なのでしょうか。「これが『アノ』久住さんなのか」と驚かされました。(笑)
他のメンバーも、それぞれがそれぞれに与えられた役を十二分に演じきっていて好感を持ちました。
ただ、なにしろシンデレラと王子、意地悪な姉二人以外は、ほとんど端役も端役なので、セリフも限られますし、出番も制限されます。妖精役の光井・道重コンビは、村人の役だったり、舞踏会でのシンデレラのバックで踊っている貴婦人の役だったりとエキストラ同然の扱い。それはジュンジュン・リンリンも同じで、舞台の常識として、これで成立していいのかなとも思ってしまう部分はありました。ですが、それぞれ一つしかセリフはないものの、よくやっていたと思います。それだけに、ただのエキストラと取られてしまうことに、ファンとしては歯噛みせずにはいられません。


かなり日が経ってからのレビューとなってしまいましたが、ファンの方々のレポートを拝見すると、様々にアドリブもはさむ余裕も出てきたそうで、うれしい限りです。
こういう舞台経験はこれからいろんな方面で役に立つと思うので、いくらレギュラー番組がなくなったとしても、来年もまた素晴らしいミュージカルを披露してくれるように願うしかありません。


「士別れて三日なれば、即ち将に刮目して相待つべし」(『十八史略』より)


この言葉を思うならば、彼女たちの姿を毎週見られなかったとしても、わたくしも一ファンとして、彼女らの姿を刮目して見守っていきたいと思います。



追記・村人役に物凄いかわいいコがいて、「かわいい! だれだ?!」と思ってよくよく見たら、光井愛佳さんでした。(笑)

*1:※抑ことふりにたれど……「抑」は「そもそも」と読む。「昔から言われているが」というような意味。松尾芭蕉『おくのほそ道』24段「松島」より

*2:※三里……足のすね側にあるツボ。灸を据えると足の疲れや胃腸病に効く。『おくのほそ道』で出立前の芭蕉が同じことをしている。ちなみに光井さんは盲腸炎で病欠した