加護亜依対談集『LIVE―未成年白書』雑感

モーニング娘。が再び、巷の憧憬の対象とならない限りは、現時点でのハロプロキッズおよびエッグ・メンバーの黄金時代なぞは屁にもならないと断言します。青島です。



さて。一ファンとして買わざるを得ないなという、非常に消極的な感慨を引きずりつつも、買うには買った本がこれです。(↓)


LIVE―未成年白書

LIVE―未成年白書


雑誌『週刊ポスト』での独占取材に取材以上の虚構が書かれているとか何とかであれやこれやとなっている(参照)ことを聞いており、いやはやなんだかファンとしては「わてほんまによう言わんわ」とでもボヤきたくなる昨今での彼女の独白は、ファンにとってはまさに『寝床』状態です。*1
もしかしたら、この本の出版を今や遅しと待っていたファンの方もいらっしゃるかもしれません。ですが、わたくしから申し上げれば、喫煙に至ったきっかけや、手首を切ってしまったこと、はたまた実家の借金のことから、当人のセックス観についてまで、そんなもの知って何になると言いたいのです。

いや、わかりますよ。加護さんの気持ちも。

二年あまり消息を絶っていて音沙汰もなく、わたくしも「ファンに対して辞宜のひとつでもしろ」と怒気を露わにしたこともありました。
ようやく、ファンの前で頭を下げ、再出発を誓った彼女なりに、われわれに自分のことを改めて知ってほしいのだろうし、なによりもモーニング娘。という(当時はかなり)巨大な存在からようやく抜け出せて一個人として見てほしいという世間への喧伝もあるのでしょう。むろん、世間様も「『モー娘。加護ちゃん』の実態はどうだったのか」についての興味はあると思います。だからといって、大型電器量販店の決算大感謝祭のように、あれもこれも暴露しまくるのは浅ましいとしか言いようがありません。実際、この本は「対談集」という名を借りながら、ただ自分の経験したこと、自分の考えていることを、ただただ垂れ流しているだけなんです。

ですが、読み進むうちにわかったことがあります。この一連の暴露話はただ、暴露ネタの安売りをして世間を自分に振り向かせようとするだけでなく、あえて自分をさらけ出すことで自分のことをよく知らない人たちと縁を作り、自分の知らない新たな世界を開拓して、自身を安息させようという意志もあるのではないでしょうか。
そう思うと、この本を読み進むに従って、憐憫の情が止めどもなく湧いて出て仕方がありませんでした。

わたくしは、ある方に「加護亜依ファンの中で、青島さんが人の三倍以上怒っていた」と評された記事(参照)を書いたとき、その記事の中でわたくしは「釈明しろ」とはいいましたが、一言も「すべてをさらけ出せ」とは言っていないはずです。

ファンの前で謝罪の意を表明し、今後の予定に触れて「これからもよろしくお願いします」ともう一度頭を下げ、あとは何を言われても静かに微笑んでいればいいのです。その微笑みこそが、数万冊の暴露本に勝る真実を物語るはずなのです。

酷い極論を吐けば、芸能人でも、政財界のお偉いさん方でもそうかもしれませんが、畢竟、欺瞞と韜晦が身を守る鎧となり、兜となったりします。また、その鎧兜が壮麗であればある程、その人物の魅力を引き出したりもします。逆にいえば、そういった前提と念頭に置いておかなければ、エンターテインメントの世界は楽しめないということになるでしょう。これは表現者と受け手との間での暗黙の了解であるはずです。でも、人の欲望というのは恐ろしいものでして、その了解を無視してまでも、内幕が覗きたくなるもの。能『黒塚』*2の能力ではありませんが、「見ろと言われれば、それは見るさ。でも、見るなと言われれば、なお見たくなるのが人の常」で、そのためのワイドショーがあるのでしょうが、そこは『秘すれば花』を貫いてほしいものです。(『秘すれば花』の意味はここにくわしい)
つまり、あれやこれやをまだ二十歳そこそこの段階で語りきってしまうと、「あー。加護ちゃんって、こんなコなんだ〜」という意外性をすべて露呈してしまい、肝心の人間としての面白みも半減いや、それ以下になってしまう危険性があります。
ましてや、この本の最後の部分で自身の言葉として語られている「17歳のわたし、間違ってくれてありがとう」という文言は、過去の間違いについて全然反省していないと取られても仕方がありませんし、加護さん自身の人間性の小ささを晒してしまっています。

たしかに、加護さんにとって、あの失敗がなければ香港での映画出演や、シンガポールでの映画主演などという機会はなく、ただのアイドルとして飼殺しになっていたのかもしれません。とらえ方からすれば、「けがの功名」でしょうか。また、あちこちのテレビ番組での暴露話においても「(一連の事件から精神を患ったうえ、両親が離婚し、父親が抱えた借金を丸かぶりしてしまったという)どん底を経験したから這い上がれた」などとおっしゃっており、これからの芸能生活への決意表明をなさっておられます。しかし、彼女はあくまでも日本国の法律を犯し、世間から後ろ指をさされた方です。どん底といっても俳人・細谷源二のように空襲で家が焼かれて、やむなく北海道に移住しても職がなくて極貧生活を強いられ、しかも、やっと建てた家も吹雪にあって倒壊というような「どん底どん底」に比べれば、まだ「とん底」くらいのかわいいもの。本当にどん底生活している人間なら、ロスサンゼルスに留学なんて贅沢できませんしね。(笑) まったく片腹痛いわけですが、何につけてもまだまだ年端もいかないひよっこが言うようなセリフではありません。正気の沙汰ではないと勘違いされても、我々ファンは弁護できません。厳しいですが、これは愛ある真実です。

この書物の中で、霊媒師の下よし子さんが加護さんに「人を許す」ことの大切さを説く場面がありますが、わたくしは、まだ加護さんには人のことを考える余裕がないように思います。それよりもなお、自分自身を改めて見つめなおすことを考えてほしいものです。

あんなに「モーニング娘。加護ちゃん」であることにストレスを感じていた加護さんが、いまだに「加護ちゃんねる」という携帯電話のサイトで「加護ちゃん」を演じているではありませんか。


ファンにとって、この二年間は一日千秋の思いだったわけですが、もしかすると彼女には、もう少し自分を見つめなおす期間が必要だったのかも……。

まさしく今の加護さんにとって必要なのは、一時の名声ではなく、自分自身を客観的に検証する眼ではないでしょうか。そう思って仕方がありません。

*1:『寝床』状態……落語『寝床』に出典。聞きたくもないのを無理やり聞かされる状態のこと。『寝床』の内容についての解説はこちら

*2:『黒塚』……能の名曲のひとつ。東北に修行に出た山伏の一団が吹雪にあって難渋しているところで、粗末な藁屋に住む老婆に助けてもらう。親切な老婆に気を許した山伏一行は、膝を崩してくつろぐ。囲炉裏の柴がなくなったから柴刈りに行こうと席を立った老婆。戸口を開けて外に出ようとしたとき「決して、閨(ねや。寝室)の中を覗くな」と山伏たちに念を押して出かける。その間、山伏たちはすっかり寝入ってしまうが、能力(のうりき。山伏の弟子)だけは落ち着かない。こっそりと閨の内を覗くと、そこには食いちぎられた人間の死骸が累々と山になっていた……。別名を『安達ヶ原』