続「つんく♂式演歌」序説
あらためまして、ハロプロ解体説唱道者、モーニング娘。皇道派・青島玄武でございます。
先日の記事で、「どうしてつんく♂氏は演歌・歌謡曲系の曲を多く手掛けるのか」という問いをしたと思います。
わたくしなりには「彼の原点だから」だと考えます。ただ得意としているだけでない思い入れがあるのです。
シャ乱Qの楽曲には「男の悲恋」を描いた曲が少なくありません。彼らのヒット曲をざっと挙げると『シングルベッド』『ズルイ女』『いいわけ』などがありますが、全部、男の悲恋がテーマ。彼らがヒットを飛ばす前に出した曲、たとえば『18ヵ月』にしろ『上・京・物・語』にしても男の悲恋がテーマなんです。
この「男」が「女」になれば、そのままモーニング娘。の演歌系の曲になってしまいます。
そういえば、モーニング娘。が『リゾナントブルー』を発売した時に、つんく♂氏は「原点に立ち返る」的な発言をしているのですが、これは「モーニング娘。の原点」というより、「つんく♂氏自身の原点」ではないかと思います。
だとしたらつんく♂さん……。
かなり迷惑です!!
表現していく過程にあって、いろいろな表現方法を模索したり、これまでになかったことを打ち出してみたりすることはもちろん大切です。自らが流行を作り、世間の流行にも合わせていく。わかります。
でもですよ。これだけは絶対に曲げてはいけないという部分。「不易」の部分も必要なわけです。この「不易流行」のバランスが整ってこそ、一流の表現者だと思うんです。
モーニング娘。にとって、この「不易」の部分こそ、夢や愛を高らかに歌うことなんです。
先日、モーニング娘。のコンサートに行き、リンリンが『青空がいつまでもあるような未来であれ』を独唱しているのを聞いて、
「えっ?! モーニング娘。に、こんな曲あったっけ?」
いったんは耳を疑いましたが、あらためて『青空』であることに気付いて、大量の感涙とともに、最大の歓声をあげてしまいました。*1
また、『雨の降らない星では愛せないだろう?』では、9人が横一列に並んでじっくりと歌い上げる姿にも感動しました。あらためて、モーニング娘。のファンでよかったと思いましたよ。
一時は国民的と呼ばれ、容易に辛気臭い歌謡曲調に手が出せなくなったモーニング娘。ですが、国民的支持を受けるなかで、確実に支持層に夢や希望を与え続けたのは事実。多くのファンにとって、いまでもモーニング娘。は「夢と希望を与え続ける存在」であることに変わりなく、そういう意味では、どんなに曲調が良くとも、『しょうがない 夢追い人』などという言葉は、おくびにも出してはいけないのではないでしょうか。そこに唯唯諾諾としていられるほど、わたくしもお人よしではありません。曲調とジャケットとPVの質さえよければ、歌詞で何を言っても目をつぶっていられるなんて、
「お客様がた」
と言われて、やすやすと言われるままになってしまう、『注文の多い料理店』の客みたいではないですか。
しかも、先日の記事へのコメントで相方が「ハロプロでやるにしてもベリキューがいますし」と言っていたのも、なんだか「モーニング娘。の代わりなんて、いくらでもいる」と言われたようでショックでしたね。
実際、そういう考え方の人が多いのでしょう。ハロプロのコンサートというものに行ったとき、モーニング娘。への声援が圧倒的に少なく、そのほかのユニットへの声援が圧倒的に多かった事実を見るにつけ、わたくしもいよいよ『五稜郭』で流れ弾に当り、幕府のために殉死しななければならないのかという歎息を禁じ得なかったのを覚えています。*2
モーニング娘。は歌謡曲を歌うなというのではありません。歌ってもいいのですが、やはり、『SONGS』や『雨の降らない』などの曲をシングルとして発表し、世間に広く「ザッツ モーニング娘。」という部分を示してもらいたい。
モーニング娘。が、いつまでも我々の灯火であり続けますように、これから「9期→10期→11期……」と、いつまでも夢と希望を歌い続けるユニットであるようにと、心から願ってやみません。