「つんく♂式演歌」序説

定額給付金とか、エコカー購入支援金とかあげるから、消費税あげてもいい?」って、なんだか朝三暮四のような気がする青島です。
日々の生活が困窮するのは、ヲタ生活が困窮するよりつらい……。(あたりまえだけど)


さてさて。そんな最中でも、今日も今日とてモーニング娘。

つい先日シングル曲が発売になったと思ったら、もう続いてのシングル曲の発表があり、すでに公開されていたりするわけなんですが、これが前曲に引き続いてまた「ド演歌」でして、ちょっとお聴きになられるとわかると思います。



しょうがない 夢追い人(初回生産限定盤A)(DVD付)

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つんく♂楽曲には、ロック調なりR&B調なりなんなりと幅は広いものの、よくよく聴いてみると演歌にしか聴こえないという楽曲が少なくありません。モーニング娘。の初期作品や第一期タンポポの楽曲に顕著にみられます。
ただ、最近の楽曲と違うのは、
「自分から男を振るような、かなり行動的かつ大胆な女性が多かったのでは?」
ということです。
メモを残してさっさと彼氏のもとを去る『Memory 青春の光』や「永久的にさよなら」と大胆な別れを切り出す『ウソツキあんた』などが好例でしょう。ですが、最近の楽曲では、「男なんてなんて信じない だってだって嘘ばかり」=『悲しみトワイライト』や、「ああいつかは幸せが来るわ」=『女に幸あれ』、「<また 一人ぼっち マリコ> 自分に 言い聞かす 私」=『泣いちゃうかも』など、より女性の悲嘆の強い楽曲が多いです。また、悲嘆のギミックが鼻につくほど強いですね。(「マリコ」って誰だよ)
そして、この『しょうがない夢追い人』でも現実を見ずに夢ばっかり追っている男性に耐える女性の姿が描かれています。これも「男性の所業に振り回されて耐える女性」という、非常に古典的な歌謡曲の楽曲世界が、やはりパターン的に適当なダンスピード楽曲にまとめられています。本当、「今時こういう内容で、果たして多くの共感を得られることができるのか?」と、首を傾げてしまいます。*1

とくに公憤を覚えてしまうのは、「愛」とか「夢」とかを高らかに歌い続けてきたモーニング娘。が、いまさら『しょうがない夢追い人』とは、何なのかと。

たしかに楽曲の中では、二人であなたがかなえた夢を祝福できればいい、というようなことも言ってはいますが、『LOVEマシーン』以後、一時期でも「国民的アイドル」と呼ばれた人たちが、歌詞の中に「学生の気分でいるのね」やら「現実という大きな壁があるのを」などという、やたら所帯じみた卑小な歌詞を情感こめて歌うのはどうも納得がいかんのです。

これは、わたくし個人の話で恐縮ですが、中学の時から作家になって、広く世間の人に読まれるのが大きな夢でして。なんやかんやありましたが、今は俳句作家としてようやく現代俳句協会に認められて入会がかなうことになりました。
思えば、これも、モーニング娘。のミュージカル『LOVEセンチュリー 〜夢は見なけりゃ はじまらない!〜』に触発され、表現の道を捨てず、「現実の壁」があっても心胆の苦渋を乗り越えられた結果ではないかと思います。それもこれも、モーニング娘。が高らかに「夢」を歌い続けてきたからであります。

たしかに、この曲は、前作に比べればまだ質の点では上だと思いますし、PVも『泣いちゃうかも』での「無数の傘を固める」という、まるで大学の演劇研究会のような精いっぱいの舞台装置に比べれば、すっきりとロケで撮影がなされていて好感が持てます。

それでも、『しょうがない夢追い人』を歌った口が「生きる為に泣いている赤児(あかご)のように 生まれたての純粋な心であれ」=『みかん』みたいな曲を歌うんですよ。どんな躁鬱病かと思われますよ。(苦笑)


それにしても、最近はどうしてこういう楽曲が多いのでしょうか?

この点については、あまり誰も触れたことがないと思いますので、次回はそのあたりに対する考察ほ行いたいと思います。

*1:ちなみに、『リゾナント ブルー』では、たったひとり都会の孤独に耐える姿を描いておりまして、わたくしはこちらのほうに共感を覚えます。