お詫びとまとめ

先般のラジオでは、せっかく「アイドル宇宙世紀クロニクル」と題して、道重さゆみは、アイドルのニュータイプだ!!」というセリフを用意していたのに言えず、結局コブラ塾で塾長さんに言われてしまった青島です。

アムロニュータイプ能力にガンダムの性能がついていけなくなったのと逆の現象といえる。

あーあ。(笑)



さて。お詫びがございます。

先般のラジオでは、BGMの音量が大きすぎてパーソナリティの声が届かないという事態が、開始から二時間半にもわたり、せっかくお聴きくださった方に多大な迷惑をおかけしましたことを、お詫び申し上げます。
肝心の本編で何を話したのかがわからないという方の為に、あらためて特集でわたくしが申し上げましたことを、言い忘れていたことを付け加えながらを記載いたします。


アイドルとは押し並べて「清純派=正統派=王道」であり、人々のあこがれでなければならないというアイドルの聖人性・神秘性は、「アイドル冬の時代」を経て崩してしまい、それ以降は、むしろ一つの流れてしてあったグラビアアイドルがバラエティ番組などへの露出を高め、音楽が主だったアイドルのお株を奪ってしまいました。それまでは王道アイドルとグラビアアイドルの間では王子と乞食ほどの差がありましたが、一転、今までの王道アイドルが旧態アイドルとして一気にマイナーになってしまい、以降のアイドルシーンでは、「水着を着られなければアイドルにあらず」的気風が当たり前になり、単に容貌のよさやキャラクターのキャッチーさだけに着眼されるようになります。つまりアイドルは神秘性を失い、キャラクターの好悪で判断されるような「萌え」の対象としての存在でしかなくなったわけです。
また、アイドルの髪形を真似してみたり、アイドルがプロデュースしたグッズが飛ぶように売れたりしていたような、アイドルが大衆の流行を作って来た流れも、昨今では巷の女子高生・女子大生が流行を発信するようになり、それに芸能人が乗っかるという流れが一方であったりと、大衆の流行とアイドルが発信する流行がインタラクティブな関係にシフトしてきています。
このように、大衆とアイドルの関係がフラットになってきている世の中、大衆のアイドル感も凄く曖昧なものになってしまい、現在では、相武紗希長澤まさみなどの本来なら「女優」と呼ばれるべき人や、大塚愛倉木麻衣のような本来なら「歌手」と呼ばれるべき人たちも、アイドル的な見られ方をするようになっています。すなわち、アイドルがたんに「若年タレント」を指し示す言葉になったわけですが、わたくしはこれならこれでアリかも知れないと考えます。
というよりも、そういう気風が厳然としてあるので、そこにはどう「アイドルとは……!!」と叫んだとしても抗いようがないのでないでしょうか。

わたくしはPerfumeはアイドルだと思うのですが、「いやいや立派にアーティストでしょう?」と言われれば、そういう一面もあるなと思ったりします。そこには全くこだわりません。
たしかに、Perfumeの楽曲は、もはやブランドとして成立した感があります。「アイドルソング」というくくりの中ではもはや考えられないものがあります。
それでもPerfumeがアイドル、いや、アイドル的だと考える理由は、三人のキャラクターのバランスや、見た目のフェミニンさ、女性としてのかわいらしさや色気という部分が、やはり強いユニットであると考えるからです。ですが、それはアプローチのひとつであって、Perfumeそのものの魅力を語ることにはならないと思います。

なので、モーニング娘。も、旧来のアイドルという枠枷に嵌めることよりも、彼女らのかわいさやキャラクターを玄関として多くの人に知られるようになり、(Perfumeが「近未来テクノポップ・ユニット」というブランドを作り上げたように)彼女らオリジナルの確固たるブランドを作り上げていければ、もっと長続きできるのではないかと思います。
LOVEマシーン』のブレイク以来、モーニング娘。ディスコ・サウンド、ファンク・ミュージックに強みがあるので、そこに新たなブランドを作り上げられることができるはずです。

モーニング娘。アイドルソングとして記憶されることよりも、モーニング娘。ソングとして記憶されるようになれば、われわれファンも、ちょっとは法難を回避できるようになるのではないかとも期待したりしてしまいます。*1

*1:※法難……仏教を広めようとする坊さんが、あちこちで迫害を受けること。転じて、アイドルファンが「いい年してアイドルファンなんて恥ずかしくないの?!」と難詰されたりすること。