アイドルにおける古典(ロマン)主義と現実主義

芸術一般にはなんでもこの現実主義とロマン主義の対立というものがあって、どっちが良くて、どっちが悪いということでなく、いつの時代もどちらかが台頭すれば、どちらかがマイナーになるという、シーソーのような関係を繰り返してきました。
近代文学においては、江戸時代まではお堅い思想書や文語体の詩歌中心だったものを、海外文学に影響を受けた坪内逍遥が、口語朝の平易な小説を次々に発表して新たな地平を確立した一方、江戸自体の戯曲や小説を研究し格式高い文章で叙情性を重視した森鴎外尾崎紅葉がいました。彼らはロマン主義と呼ばれます。時代が下ると、島崎藤村田山花袋などの、現実社会をリアルに描写していく、生々しい小説を書く潮流が生じます。これを現実主義といいます。
クラシック音楽では、バッハやハイドンが築きベートーベンやモーツアルトが規格を成形した荘厳な音楽(バロック音楽、ロマン派・古典派音楽)を、ラヴェルレスピーギなどが再構築しようとする運動がおこります。(印象主義)
絵画においても、緻密な歴史画を得意とした新古典主義のアングルなどに対抗して、市井の風俗を粗いタッチで描く印象派の絵画が対抗してきます。
あらゆる文化の歴史は、まずひとつの形・規範が生まれ、その形を崩そうとする勢力が現れて、崩れそうなところでまた再構築されてゆく、この繰り返しにあります。たとえば、マンガ(少年誌に対する青年誌)もそうだし、お笑いだってそう。(いとし・こいしなどの古典的な漫才に対する、ツービートの横紙破り)

アイドルもご多分にもれず、その波の中にあります。一度、『五稜郭』時代に書いたと思うのですが、おさらい。

秋元康にプロデュースよる「おにゃん子クラブ」の登場により、それこそ恋愛は無論、トイレもいかないといったアイドルそのもののイメージを根本から崩し、とんねるずにおもちゃにされる姿を残しながら、『アイドル冬の時代』に突入します。
思えば宍戸留美が『笑っていいとも!』に出演して「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ド・シ・シ・ド・ル・ミです!」と自己紹介をした瞬間、観客が騒然としていた時代ですよ。
まさに古典主義の崩壊。バラエティで水をかぶらされる(宮沢りえ)だの、「ひらがな」呼ばわりされる(ともさかりえ)だの、清純を絵に描いたようなこれまでのアイドルのイメージのリセットが進みます。(自ら「バラドル」といった、森口博子もそうですわ)
また、アイドルソングと呼ばれるものも、ガーリーでスタイリッシュなものから、安室奈美恵やSPEEDのような、クラブユースにも耐える野太い音楽が主流となります。
そうしたファンク系・R&B系音楽と、アイドルをオーディションの様子から楽屋裏まですべて見せることによって『アイドルのリアル』を見せつけた存在として、モーニング娘。が登場します。アイドル現実主義時代の到来です。
それからはいわゆる「ハロプロ帝国時代」と呼ばれるもので、バラエティに出演すれば、それまで(「バラドル」と自称しなければ)完全受け身だったアイドルたちが、自ら笑いを取ってゆくまでになりました。その究極が、辻・加護でしょう。
一口にハロプロといっても、このころのハロプロは、「ハロプロモーニング娘。中央政府とするグループ」でありました。昨今のような、ただのアイドルグループ集団ではありません。そうなったきっかけは、辻・加護の離脱があった2004年より先、2005年あたりからではないでしょうか。このころから、モーニング娘。の楽曲の著しいヒットは極端になくなってきます。むろん、CD時代の終焉の兆しもありましたが、それよりも楽曲の質の低下はもはや敢えて記すことでもないでしょう。2004年12月発売のアルバム『愛の第六感』にくらべると、2006年2月発売の『レインボー7』は本当に可もなく不可もないどうでもいい曲がそろいました。
あと、言っておくべきは、ファンがこれまで注視してきた彼女らの「リアル」が、いつの間にか「幻想」にすり替わっていったというのもあると思います。それまでは声の届くところで応援できたB級アイドル集団が、歌もダンスも台本のない笑いもこなす、国民的ハイブリッドアイドルに成長していく過程は、実にリアルなものに移りました。ところが国民的となった途端に、ファンにとっては手の届かない幻想的な存在になってしまったのです。いわゆる2005年の「矢■(しかく)問題」を発端としたファンの論争(アイドルの恋愛の是非を問うもの)は、冬の時代以前からあったアイドルの在り方論をトレースしたようなものになってしまいました。
そして、この2005年には、奇しくもあのAKB48が誕生しています。2006年の加護亜依喫煙事件をきっかけに多くのファンがこれに流れて行きました。また、ハロプロ内の年少組ユニットにも流れ流れて行き、モーニング娘。の弱体化が進みます。2008年のハロプロのコンサートを観に行ったとき、モーニング娘。への声援の、あまりの少なさに愕然としたものです。*1

では、アイドル現実主義はなくなったのか? ……いやいや、さにあらず。

AKB48は、たしかに「恋愛禁止」を標榜しながらも、総選挙なるファン投票やじゃんけんでメンバー同士を争わせたりなどと、派手な興行を打つことで、これまでの現実主義ファンたちを確保しました。
また秀逸なのは、そこに付きまとうプロレス感を薄めるように、姉妹ユニットであるSKE48では、元スーパーモンキーズで振付師の牧野アンナを起用し、スパルタ教育による徹底した実力主義を展開しました。そのセンターに君臨する松井珠理奈は、SKE48内最年少ながら、メンバーをして「稽古場の鬼」と言わさしめた傑物。秋元康も「10〜20年に一人の逸材」と称え、まるでつんく♂後藤真希を評したようなことを言わさしめました。その昔モーニング娘。不遇の時代の娘。ファンだった人間が、撒き餌に飛びつく魚のように次々と名古屋に殺到しているそうです……。

AKB48だけではありません。古典主義を下地としながらも、練られた楽曲をひっさげて地道なファン獲得のための小規模なイベントや握手会をやっているアイドルは増え続ける一方です。

ももいろクローバーは、ステージパフォーマンスに定評があり、2010年5月17日放送NHK総合MUSIC JAPAN」〜女性アイドル戦国時代SP〜においては、多くのアイドルファンの度肝を抜き、「ももクロ、ここにあり!」を見事に示してみせました。

新曲『ピンキージョーンズ』のc/w『キミとセカイ』のPVもかなりイカレていてよいです。(笑)



Tomato n' Pineは先日も言いましたね。PUFFY渚にまつわるエトセトラ』のカバーも、ミックス加減がいい感じで。



この子たちは「楽曲ありき」だな〜。いまいちリアルが感じられない面でわたくしとしてもやや難があります。


逆に、リアルがすごくて、楽曲に難ありというと、スマイレージかと。

本人たちのキャラクターは、旧モーニング娘。ファンの方々に説明するなら、『5.1chサラウンドの辻・加護(ただし、計算は全くできない)』といった感じ。(笑)ツイッターやってて、本人たちのつぶやきと、それに対するファンの対応などを鑑みると、プロインタビュアー・吉田豪先生が『豪さんのポッド』で、彼女らを一文字で例えるなら「狂」だとおっしゃっていたのが最近になってよくわかってきました。
Ustreamでやっている、無料配信番組での彼女たちの狂乱っぷりといったら、滑稽を通り超えてもはやアートすらも感じてしまいます。
顔に水色の布テープを貼りつけ合ってなんだか、KISSみたいになってしまったり。

じゃんけんなしの「じゃんけんブルドッグ」を前田に仕掛ける福田とか……。
一度見始めると注視せざるを得ない面白さがあります。

ただやっぱり、メジャーデビュー以降の曲が弱いですな。『○○がんばらなくてもええねんで!! 』はまだマシとしても、『同じ時給で働く友達のちょっとエッチな美人ママ』(違うか。ww)のギター早弾きはどうでしょう? 水樹奈々とかのアイドル声優に任せればよいのでないでしょうか? 『夢見る15歳』の簡単なユーロビートも実にお粗末。
これなら、インディーズ時代のほうが良かったのではないでしょうか。
ぁまのじゃく』のエレクトロポップは時代にも即してますし、『あすはデートなのに、今すぐ声が聞きたい』は、第二期タンポポにも通じるブリティッシュ+フレンチポップの傑作。『スキちゃん』は、つんく♂得意のデジロック調ながら、四人の声とマッチしています。『オトナになるって難しい!!!』は四つ打ちガーリーポップで、むしろ王道ともいうべきしっかりした曲。


アイドル戦国時代といいますが、なかなか難しいものがありますな。

とりあえず、AKB48が今一番有名、ということになっているのですが、だからといって、いまの彼女らの売り方にはなかなか賛同できもはんで。(笑)
なんだか、今のAKB48って、これも今のモーニング娘。と合わせ鏡のような気がするんですよ。*2

だからといって、完全にロマン主義・古典主義に振れて行くわけでもないと思います。

今のアイドルヲタクの多くは、やはり、アイドルたちの売れていくための苦悩するリアルや、少女っぽさの中に垣間見る狂気が大好きなんです。
そこがいらなくて、ただよい容姿、よい曲、良いダンスがほしい人たちは、日本に続々上陸している韓国アイドルにハマるんでしょう。

たしかに、KARAの『Honey』の振り付け考えた人って天才だと思います。



おそらくこれからのアイドル界は、古典派・韓国勢と、現実派・日本勢とのせめぎ合いになっていくのではないかと思っております。

*1:2007年5月のハロプロエッグ新人公演を観に行った時、もうすでにハロプロのメインストリームがこちらに移るであろうという兆候はあった。ファンの熱狂はまるで新興宗教の集団イニシエーションであった。興業側の意図もハロプロのメインストリーム確保が目的であったと思う。

*2:いろんな意味で。(笑)